How to judge
勝ち組や負け組という言葉がある。
『人生の勝ち組!』みたいな感じで、華々しく使われることが多い。もしくは、『あなたは負け組』という感じで、(おそらく、消費行動を)あおるように使われることが多い。
ある日、子どもを幼稚園に送る途中で、ふと、疑問が頭に浮かんだ。
勝ち負けってなんだろ?(われながら、子どもみたいな、疑問だ)
ひとりひとりの人生は、それぞれ、まったく、別物だ。わたしが知る限りの(とても、とても、それは、とても少なくはあるけど)知識を総動員しても、複数の人間が、まったく同じ人生を歩むことはできない、と確信できる。
それなら、勝ち負けってどうやって決めるんだろ? という疑問は、(子どもっぽくはあるけど)当然のように感じる。
そのときに、ふと、頭に浮かんだのが、異種格闘技戦だ。テレビでは見たことがないので、『修羅の門』という漫画での知識しかないが、いろんな格闘技のエキスパートが闘う大会のことだ。
でも、異種格闘技戦って、難しい。なぜなら、格闘技の種類によって、ルールが、ぜんぜん違うから。
たとえば、ボクシングは足技禁止だけど、空手はキックもできる。でも、同じ空手でも、流派があって、顔面への攻撃はダメ、とか、流派ごとに決まってる。とにかく、闘うのにしても、意外にルールがたくさんある(この世は、とかくルールだらけ。でも、ルールがあるからこその創意工夫がある、とも言える)。
全部の格闘技のルールを取り入れたら、矛盾だらけで闘えない。そこで、とりあえず、便宜的に(便という字が入っているだけあって、便利な言葉だ)ルールを決める。『凶器と急所はダメ』と。
勝ち組、負け組、なんてのも、それと同じなんじゃないかな? とりあえず、便宜的に、勝ちと負けのルールを(誰かが)決める。だって、人生なんて、みんなが違う方法で闘っているのだから、そもそも勝負になんてならない。
「あなたの人生は負けなんだ」と、断定することはできる。なんなら、「これこれこういうワケで、だからあなたは、負け組ですよ」というふうに、論理的に決めつけることもできる。
そして、それを、たくさんの人が認めれば、なんとなく、「そうなのかな?」と、思ってしまうことも、ある。
でも、それって本当?
どうすればあなたは勝ちなの?
お金を多く持っていたら勝ち?
プリン風呂に入れるのが勝ち?
その手に権力をつかむと勝ち?
そもそも審判っているの?(いるとしたらそれは誰?)
そもそもルールがあるの?(決めるのはいったい誰?)
やっぱり、それは、けっきょく、最終的には、自分が決めるんじゃないかな。
『ボールで巨大プリンをつくって、それを心ゆくまで堪能したら勝ち』
そう決めて、実行できれば、ハイ、あなたは勝ち。
『死ぬ前に笑っていたら(たとえその直前まで大変な人生を歩んできたとしても)、勝ち』
そう決めて、実行できれば、ハイ、そこのあなたも勝ち。
『どうすれば勝ちなのかわからない』
うーん、そっちのあなたは勝ち? それとも、負け? じゃあ、思い切って引き分け? うん、どれでもいいよ。
あなたが、決めれば、そうなるんだから。
あなたが、決めれば、それが正解だから。
あとがき
ここまで書いて、ふと、思いあたった。
この文章を書いたのは、倉下さんの、この記事『成功本よ、サラバ』の影響なのかも。
それから、最近、読み直してる、伊坂幸太郎さんの本の、影響なのかも。
素敵な文章は、人生の彩り。
『たくさんの文章に出会えて、新たな言葉を紡げたら(そして、できれば、それが、誰かに届いたら)』
それで、きっと、わたしの人生は、勝ち(ピース)。
晴れた日も、曇った日も、素敵な一日をあなたに。
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