タイムリープの男~あるいは幸せの青い鳥~
「あのとき別の道を歩んでいれば……」
これがあの男の最期の言葉だった。
あの男──すなわち『タイムリープの男』のことである。
──◇◆◇◆──
いつからだろう?
物心つく前だろうか?
わたしにタイムリープ能力があることに気がついたのは。
授乳が楽しくて、何度もくりかえした記憶がかすかにある(もっとも、それはあとからの記憶補正かもしれない。なにしろわたしが授乳していたのは、一歳のころまでらしいのだから)。
タイムリープが特殊な能力だと気がついたのはいつのことか。これはハッキリ憶えている。
小学一年生の夏休み最後の日。
友達とカブトムシをつかまえに行ったとき。
朝早くに雑木林にはいって、目当ての木──数日前に樹液がたくさんでている木を見つけて目をつけていた──を見に行った。しかし、そこにはカブトムシどころかカナブンの一匹もいなかった。
わたしたちはガッカリした。なにしろ当時のわたしたちにとって、カブトムシを捕まえることは英雄の証だからだ。選ばれた勇者が伝説の剣を引き抜くように、名を馳せた冒険者が幻の宝物を見つけるように。英雄の小学生はカブトムシを捕まえるものなのだ。
「もしかして、あいつらのせいかもよ」
友達のひとりが腹いせのようにつぶやく。
「あー、あいつらか。きっとそうだよ」
もうひとりが怒りをぶつけるように賛同する。
「そういえばあいつら。カブトムシを捕まえたって、昨日えばってたよな。『あなば』を見つけたんだって」
『あなば』がどういう意味かはわからないが、『あいつら』のことはわかる。六年生のグループのことだ。気に入らなければ、わたしたち一年生でも平気でこずく乱暴者たちだ。
はたして『あいつら』がこの場所を見つけてカブトムシを捕まえたのかはわからない。おそらく、そういうことにしなければやるせない気持ちが抑えられないのだろう。
『おそらく』というのは、わたしにはそういう感情がまったくないからだ。だから、そのときのわたしは友達の言動を不思議に思った。なぜこんなところでぐちぐち言うんだろう? と。それなら簡単ではないか。もしあいつらが昨日カブトムシを捕まえたというなら、昨日にタイムリープしてあいつらより先にカブトムシを捕まえたらいいだけのことだ。
わたしがそう口にすると、友達は戸惑い、呆れ、やがて笑った。
「タイムリープだって! おまえ、漫画の読みすぎだろ」
まさかそんな言葉がかえってくるとは思わなかったので虚をつかれたが、わたしはすかさず疑問を解消すべく質問する。タイムリープでやり直しができることがわかっているので、わたしの尋ねかたにはかけひきや遠慮がなかった。
「まさかおまえ、タイムリープできないのか?」
わたしの言い方がプライドにさわったのか、その友達は黙りこんでしまった。しかたがないのでもうひとりの友達に聞くと、同じように戸惑いを浮かべ黙ってしまった。
そうか、こういう聞き方はダメなんだな。
そう考えたわたしは、少しだけタイムリープをした──。
「──そういえばあいつら。カブトムシを捕まえたって、昨日えばってたよな。『あなば』を見つけたんだって」
めまいがおさまると──わたしはこのめまいを『タイムリープショック』と呼んでいる──目の前の友達が、先ほどと同じセリフをくりかえしていた。
ひとつ前の世界では、言いかたがまずくてタイムリープについて聞き出すことに失敗した。しかし、わたしは今回もためらうことなく思いついた言葉を口にする。
「こんなときタイムリープできたらいいのにな」
わたしは行動する前に考えない。なぜなら、失敗したら何度でもやりなおせばいいんだから。
どうやら今回は二回目でうまくいったようだ。友達の顔には、嘲笑ではなくあこがれるような笑みが浮かんだ。
「そうだよなー。タイムリープができればカブトムシ取り放題なのによ」
この返答。やはり友達はタイムリープができないようだ。このときはじめてほかの人間がタイムリープできない可能性を考えるようになった。
それからというもの、わたしはタイムリープの話題を扱うことに少し慎重になった。慎重、といってもたいしたことではない。タイムリープという言葉を口にしなくなっただけだ。
それに、他人がタイムリープできようができまいがたいした問題ではない。わたしがやりなおしたいと思えば、静かにタイムリープすればいいだけだ。
それからわたしは数えきれないほどタイムリープをした。
大好きなおやつをなんども味わうため(おいしいものは何度でも楽しみたいものだ)。
仲のよい友達とのケンカをなかったことにするため(人間関係はむずかしい)。
クラスでちょっとしたヒーローになるため(そのころは、有名なロールプレイングゲームをだれよりも早くクリアしたらヒーローになれたものだ)。
テストの点数をよくするため(コツをつかめば簡単なものだ)。
告白してフラれたのをなかったことにするため(このあとクラスの半分ちかくの女の子に告白してようやく成功した)。
受験で失敗をしないため(わたしの人生に失敗という言葉はない。問題は『何回目に成功するか』、だ)。
有名企業に就職するため(わたしの人生に失敗という言葉はない。問題は『何回目に成功するか』、だ。そして、わたしの人生において、くりかえしは無駄ではないのだ)。
わたしはつねに順風満帆な人生を歩んできた。それもそのはずだ。なにしろ嵐がくるまえに針路をかえるのだから。いくつもある航路のなかから、ないだ海だけに船首をむけて航海してきたのだから。
しかし……。なぜだろう。いつもなにかが足りないと感じていた。
──◇◆◇◆──
病院のベッドに横たわる男の口から言葉がすべり落ちた。
「あのとき別の道を歩んでいれば……」
それがひきがねになったかのように、男の脳裏を数多くの人生が駆けぬけた。タイムリープをくりかえすことによって体験した、通常の人間の何倍もの人生が。
『あのとき』だって? いったいどのときなんだ?
カブトムシを捕まえそこねたときか?
それとも高校バスケ部最後の試合で、決勝点となるシュートを20回目のタイムリープで決めたときか?
101回の結婚をくりかえしたすえに、いまの妻と結ばれたときか?
悠々自適の暮らしをしたくて、大企業の社長になるのを断ったたきか?
男はかぎりない『if』を想像する。
そして、男はついにたどり着いた。いままで一度たりとも考えたこともなかった答えに。
もう、タイムリープはやめよう。
そして、いまあるこの生を全うするのだ。医者の言葉どおりなら、わたしはもうすぐ死ぬだろう。しかし、生きのこる可能性もゼロではない。
それになにより。
そう。なにより自分で選んだ生なのだから。
きっと後悔はするだろう。やはりタイムリープしておけば、と。しかし……。
男の思考はここで途絶えた。
「先生! 916号室の患者さんが!」
看護師に呼ばれた医師は、素早く男の容体を確認する。熟練の技師が工作機械をチェックするかのように淀みなくおこなわれ、そして速やかに終わった。
すなわち、男は死んだのだ。
「ご臨終です」
手を合わせながら医師は思った。この充実した顔。きっと彼は満足のいく人生を送ったのだろう。できることなら彼に聞きたかったものだ。どうすればこのような満足のおける死を迎えられるのか。
かくして、『タイムリープの男』の長い旅は終わった。
〜Fin〜
晴れた日も、曇った日も、素敵な一日をあなたに。
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