その答えは本当?
育児をしていると、答えがほしくなることが多い。それもすぐに。
子どもが病気のときに、対処する方法。
子どもがぐずったときに、ごきげんにする方法。
子どもがごはんを食べないときに、食べさせる方法。
どれも結構な緊急性があるので、すぐに答えを知りたくなる。そして、それを実践したくなる。
『子どもがぐずったときに効果的な7つの対策』なんてブログ記事があれば、わらにもすがる気持ちで飛びつきたくなる。
そして、そこで得た答えを実践して、うまくいったときは、「ああ、このやりかたであっていたんだ」とホッとする。
でも、まって。
その答えは本当?
答えを知るには時間がかかる
先日、うちの六歳児と幼稚園の遠足に行った。
その遠足は、親も参加できるので、わたしがいっしょに行ってきた(家とはちがう子どもの様子を見られる機会はなかなかないので、ウキウキして行った)。
その一方で、すこし不安もあった。
昨年も幼稚園の遠足に行ったのだが、そのとき、うちの六歳児は、クラスのゲームにうまく参加できなかったからだ。
集団行動に慣れていないこともあり、また照れ屋でもあるため、そういう場面では、なかなか輪にはいれない(それならそれでかまわない。そう思う一方で、クラスでの遊びに参加してほしい、とも思う。ああ、複雑な親心)。
本人も複雑な気持ちをいだいているのか、クラスの輪から離れたところへ、走っていこうとする。わたしは、子どもを追いかけて、呼びもどす。しばらくすると、また子どもが走りだす。わたしは追いかける。その繰りかえしだった。
余談ではあるが、遠足から帰ったあと、『子どもが集団行動できるようになる7つの対策』という記事を検索したのは言うまでもない。
あれから一年。
今回も、うちの六歳児は、クラスのゲームには、あまり参加できなかった(とはいえ、途中までは、自分から参加していた。ブラボー!)。
でも、前回との明確なちがいは、あった。
走りまわることが、なかったのだ。
クラスのみんなからすこし離れたところで、でも、先生とのお約束(先生から離れないでね、と事前に約束をしていた)どおり、目のとどく範囲で遊んでいた。
クラスのみんなの喚声が、やけに遠く聞こえる。春とはいえ、日射しは強く、肌がじりじりと焼けるのを感じる。ときおり吹く風は、まだ冷たさをふくみ、焼けた肌をやさしくなでる。そんな静かな時間のなか、ひとりしゃがみこんで、土いじりをしてあそぶ六歳児の隣に、わたしもしゃがむ。その、どこかゆったりとした時間を共有して、わたしは感じた。
ああ、これが一年前には知ることができなかった答えなのか、と。
もちろん、この答えも、実はまだ、本当ではないのかもしれない。いや、その言いかたはちがうかな。わたしが見たのは、まだ、答えのほんの一部、なのかもしれない。
光の角度で色を変えるという宝石、アレクサンドライトのように、来年になったら、またちがう色を、ちがう輝きを、ちがう答えをみせてくれるのかもしれない。
そう思うと、未来はすこし希望に満ちたものになる。
とはいえ。
その答えに気づくまでは、いま目の前で起きている出来事に精一杯なのだろうけど。
いつだって、目の前ことに精一杯で、目の前の答え(と思われるもの)に飛びついてしまう。でも、それでいいんじゃないかな、と思うようになってきた。
たまに、ふっと肩の力を抜いたとき──息つくひまもない育児のあいまに、子どもがお昼寝をしてできた、ほんのすこしの空白のようなとき──に飲んだいつもとおなじ紅茶に、新たなおいしさを発見するような。そんな、たあいもないけど、スペシャルなもの。
それが、本当の、答えなんじゃないかな。
そして、それって、人生にも言えるかも。でも、そのお話は、また別の機会に。
この記事は、こちら↓の記事に触発されて書きました。
晴れた日も、曇った日も、素敵な一日をあなたに。
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